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園長日誌

令和2年度はコロナに始まりコロナに終わる、まったく想定外の1年でしたが先日卒園式を終え、いよいよ1年の終わりを迎えようとしています。
新年度もコロナで始まることでしょうが、コロナは終わる1年になってほしいと願っています。

さて、4月から新入園児を迎えるわけですが、園児だけでなく職員も新卒者を迎えます。先日、ネットのニュースを見ていたら、「ホウ・レン・ソウには、お・ひ・た・しで返す」という記事がありました。
ご承知の通り、ホウレンソウとは報告、連絡、相談のことです。おひたしとは、怒らない、否定しない、助ける、支持することだそうです。
新社会人は当然のことながら即戦力とはいきません。うまくいかなくても感情的に怒らないこと、とはいえ、大きな間違いを犯せば叱ることは必要です。
また頭ごなしに否定せず、一度しっかりと受け止めてから間違いを否定すること、イエスバット法がよいとのこと。
困っていれば助けることも必要ですが、すぐに手伝うのではなく、本人から助けが必要だと申し出があれば、サポートすることが大切です。
指示もあまりたくさんすると指示待ちになってしまうため、支持を求めてくるまで待つことが大切とのことでした。

新卒者が私の子どもぐらいの年齢ですから、ついつい子ども扱いしてみたり、逆に一社会人として一人前に扱ってみたもののやはり任せるには早かったりと、なかなかうまくいかないこともありますが、まずはコミュニケーションをよくとって、互いにマナーをもって接することがポイントでしょうか。

今年度最後の大きな行事が終わりました。
コロナ禍の開催は困難を極め、中止や縮小も考えられましたがなんとか工夫して実施することができました。例年にない感染対策に気疲れしたのか、家に帰ると爆睡でした。次年度はいつも通りに実施できることを願うばかりです。

さて、新しい教育要領になって3年が経ちました。毎年職員間で議論に上がるのが行事のあり方です。
「主体的、対話的で深い学び」においてどのようにして行事に取り組むのか、そもそも本当に必要なのか、難しい問題です。実際に研究者の中には行事不要論を唱える方もいるぐらいです。
個人的な考えを言いますと、確かに行事が多すぎると感じます。ですから私が園長になってから随分数は減らしました。内容も毎年見直しをしています。それでもまだまだ多いと感じます。主体的、対話的に取り組むには時間がかかるからです。

一方で当園の建学精神でもある調和の必要性も感じます。偏った保育は基礎の基礎を育む幼児期には好ましくないと考えます。時には教え込む場面も必要だと思うのです。
また、誰もが得意不得意があります。お遊戯会で主体性を育んでいるとはあまり言えませんが、体で踊りを覚え、リズムを合わせることは身体的な発達に十分貢献していますし、自分の気持ちを言葉にうまく表せない子も、動きや表情で上手に表現できる子もいるのです。

時代によって求められる能力は変わっていきます。しかも年々早いように感じます。どんな状況でも臨機応変に対応できる柔軟さが一番求められているのかもしれません。

あけましておめでとうございます。
新年もよろしくお願い申し上げます。

さて、「よもやよもやだ」。
今はやりのアニメ映画を見た方ならおわかりの名言ですが、現在をズバリ表した言葉だと思いませんか。新しい生活様式は保育も行事も研修も一変させました。
12月26日、今年度2回目の園内研修もリモート研修となりました。昨年度よりお世話になっている東京家政大学の佐藤康富教授とのやりとりも随分と慣れ、2月末に実施予定の園内研修もリモートで行う予定です。

今回の研修の一部に自分を見つめるワークがあり、手前味噌ですが先生方の積極性と向上心が高いことに感心しました。目に見える(数字で表せる)ものではない能力の一つであり、肌で感じるものの一つと言えます。
私たちの仕事は手を抜こうと思えばいくらでも手を抜けます。体裁が整っていれば一生懸命にやってるようにいくらでも見せることもできます。
しかしそんなことをしていれば、短期的にはうまくいっても長期的には質の低下が進み、やがて衰退していくことでしょう。
「熱意は技術を補えるが、技術は熱意を補えない。」
研修は知識と技術を補うものですが、熱意から生まれる積極性や向上心がなければうまくいかないのです。

平成30年度の教育要領改訂以来、主体性や対話に重きが置かれています。先生方においてもトップダウンで決まるのではなく、自ら求める保育を創意工夫をしながら取り組む姿勢が今日の園の雰囲気に表れてきているのではないかと思います。

今年度も残すところあと3か月弱。
年度当初から大変な1年でしたが、熱意をもって走り抜けてほしいものです。

2020/12/17  交流会

当園には2人の英語講師が常駐しています。
二人ともフィリピンの出身で母国の教育学部を卒業しています。
日本の教員資格はありませんが、母国の教員資格を持った先生です。
ですから教え方も上手ですし、発音もとてもきれいです。

先日、市内の別の園に所属しているケニア出身の英語講師と当園の英語講師が互いの園に伺って交流会をしました。
年長児のみの参加となりましたが、みんなケニアのことに興味津々でとても積極的に関わりました。
スワヒリ語のあいさつ「ジャンボ!」も覚えました。

先が見えない時代にはいり、閉塞感が漂っているように感じますが、世界に目を向けてみればまだまだ見知らぬ世界があり、そこに夢があるように思えます。
子どもたちには大きな世界があることを知ることで、たくさんの夢を持って進んでもらいたいと思います。

10月23日、令和2年度初参式をお勤めしました。
初参式(しょさんしき)とは、これからの人生を仏さまのお慈悲に包まれて生きていけるよう、人生の出発にあたり、その誕生を仏さまにご報告する式です。赤ちゃんが初めてお寺にお参りする初参式は、子にとってはじめてのお参りですが、同時に親にとっても親として生きる出発点であり、子によっていただいた尊いご縁でもあります。
今年はビーバー、バンビ組の子どもたちから25組の親子参拝となりました。
読経の後お話をするのですが、泣く子あり、動き回る子ありで話の内容を覚えていない保護者の方もいらっしゃるので、少し触れたいと思います。

本日はお足元の悪い中、お参りいただきましてありがとうございます。

今年は新型コロナウイルス感染症対策のため、行事の中止、延期が余儀なくされ、今日も歯科検診と日程が被ることになりました。これから作品展、お遊戯会と大きな行事をまだ残しておりますが、例年通りには実施できないことを予めご容赦いただきたいと思います。

さて、16年前の今日、午後5時56分中越地震が発生しました。小学生や乳幼児も亡くなりました。もし、地震がなかったら今ちょうど皆さんと同じように子育て真っ最中だったかもしれません。
そう考えますと、こうして子を育て今まさに生きていることは奇跡であり、本当にありがたいことです。

しかしながら、子育ては簡単なことではなく、子育てを苦痛に思っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

教育基本法には、その第5条に保護者は子どもに普通教育を受けさせる義務があり、第10条にはこの教育について保護者が第一義的責任を負うと明記されています。
ですから我々教職員は保護者の子育てをお手伝いはできますが、どこまでもお手伝い止まりであり、すべての子育ての責任と義務は皆さんにかかっているわけですので、大変な責務であります。

先生方はそのお手伝いをするために計画を立て準備をし、記録と報告をします。それは決して楽しい仕事ではありません。でも、子どもと接するときは一緒になって楽しむように心がけています。先生が仏頂面して接していれば子どもも笑顔がなくなるからです。

保護者の皆さんはいかがでしょうか。
生活に疲れているのか送迎時には随分疲れた顔や眉間にしわが寄っている父母を見受けることがあります。そして子も同様に親の顔を映しています。

仏さまをたたえる「和顔愛語」という言葉があります。顔和やかに言葉愛しいという意味です。そのようになるためには自分自身、意識しなければなりません。夫が悪い、妻が悪い、家族が悪い、園が悪い、会社が悪い、社会が悪いと他人のせいにしてみても何も変わりません。

変えることができるのは自分自身だけなのです。

お釈迦さまは「人生は苦なり」といいました。
苦労があるからこそ、そこに喜びがあると伝えてくれました。
子育ては大変でしょうが、一生続くわけではありません。
自分自身で子育てによろこびを見つけ、楽しく子育てができることを切に願います。

本日はようこそのお参りでした。

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