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園長日誌

平成29年度に改定された教育要領の目玉は何といっても「主体的、対話的で深い学び」といってよいでしょう。10年ごとに改定されることから、次の改定まであと1年5か月です。漏れ聞く話ですと大幅な改定はなさそうですが、この数年間、小中学校の不登校、校内暴力、自殺は増える一方で、この国の未来を危うく感ずることがあります。
令和5年に示された教育振興計画ではウエルビーイング(日本語では「持続的な幸福」と表現されることが多い)について、獲得的ウエルビーイング(自己肯定感・自己表現など)、協調的ウエルビーイング(人とのつながり・利他性・社会貢献意識など)の両者のバランスが重要だと示されました。
主体性に囚われるあまり、子どもたちに自由な保育を推奨する学者もおりますが、現場の保育者がよく学んで取り組まないと、自分勝手な人間を育む保育になる危険性を多く含んでいます。子どもたちの自発的な遊びを自由にさせるのではなく、生活に繋がるようにうまく誘導することが求められ、それには保育者の質の向上が欠かせません。

さて、私たちの幸福とはなんでしょうか。
少なくとも他人から与えられるものではなく、自分で感じるものであると言えます。
そのために必要な育みとして「自己肯定感」が挙げられます。しかしながら、それだけでは幸福を感じられず、前述の通り「人とのつながり」、つまり自己有用感(人の役に立つこと)が大切です。園において集団、つまり仲間と育つ意味はそこにあるのではないでしょうか。
年齢に応じて、子どもたちの発表や発言する場面を設けたり、縦割り保育やコーナー保育、空間環境の工夫をしたり、運動会などの園行事を通して、決して一つにとらわれることなくバランスよく取り組んでいくことが重要であり、子どもたちが幸福を感じるための土台作りになると取り組んでいます。

先日、ECEQ【イーセック】(公開保育を活用した幼児教育の質の向上システム)に参加してきました。当園では平成30年、新潟県内で初めてECEQを実施、私自身もコーディネーター研修を受け、今までにコーディネーター2回、ファシリテーターを3回務めさせていただきました。
今回はファシリテーターとして参加しましたが、担当したクラス担任の先生からこんな質問を受けました。

「子どもたちにどこまで関わって教えていいのか」

教育要領に記載がある「主体的、対話的で深い学び」を実践するうえで、よく直面する悩みです。保育のそれぞれの場面においてどこまで関わるのか、教えたらよいのか難しい問題です。手をかけすぎてもいけないし、見守るだけでは活動が発展しません。

問題を解決する手立てとして、①問題の把握、②問題の理解、③解決策、対応策を協議すると進めていくわけですが、この場合、何が問題かといえば、子どもが主体的かということがまず挙げられます。そのうえで本来ならば子ども同士対話で解決に向けて進められればよいのですが、思うように進まないことがあり、遊びの連続性や発展に繋がらずに終わってしまうのではないかと危惧しているわけです。

私の幼少期、近所にはたくさん子どもがいました。全国には同期が200万人いる世代ですから、幼稚園児も小学生も一緒になって毎日遊んだものです。
大人から遊びを教わることもなく、近所の年上のお兄さんお姉さんのまねをしたり、ときには一緒に遊んでいるうちに遊びを覚えていきました。同じ遊びはすぐに飽きてしまいますから、自分たちで面白くなるようにルールや遊び道具を作って、日が暮れるまで遊んだものです。
ここまでやるとケガをするとか、相手が傷つく(心や体)とか、自然と学んでいきました。

いまはどうでしょうか?
うちの近所では町内子ども会活動もままならないほど少子化が進み、安全上の問題から学校が終わると低学年は放課後児童クラブに直行です。高学年になると習い事やスポーツ少年団など忙しそうです。遊びを教えてくれた少し年上のお兄さんお姉さんを近所で見かけることが難しい現状です。

誰が子どもたちに鬼ごっこやかくれんぼ、ビー玉遊びなど挙げればきりがないほどのたくさんの遊びを教えてくれるのでしょうか。
現代の保育者は、少し年上のお兄さんお姉さんの役割も求められているのではないでしょうか。

2025/09/01  園児募集

令和8(2026)年度入園児を募集します。
当園では大切なお子さまをお預かりする園をよく知ってもらうため、見学を推奨しております。園の行事等で対応できない日時もございますので、お越しになる前にお電話で日時の調整をお願いします。
なお、3~5歳児は一般募集を行ないませんが、年度途中で退園者が出た場合、入園ができることがございますので、希望される方は園までお尋ねください。

今日は8月15日、戦後80年を迎えました。
ここ長岡でも8月1日22:30頃から2日0:10頃まで、実に1時間40分にわたり空襲を受け、約1480名の市民が亡くなりました。
私が住職を務める寺も本堂は全焼、庫裏の一部だけが焼け残りました。幸い私の父(当時は生後6か月)を含む家族は、近くを流れる栖吉川の土手まで逃げて助かったため、私は今、存在します。

おかげさまで日本はこの80年間、戦争をせずにやってきました。
しかし、最近は核武装をした方がコスパが良いなど、先人たちが必至で守ってきた非核を簡単に否定する参議院選挙候補者もおり、こともあろうに有権者は当選させてしまいました。

今年の広島原爆の日での湯崎広島県知事のスピーチの抜粋です。

「…自信過剰な指導者の出現、突出したエゴ、高揚した民衆の圧力。あるいは誤解や錯誤により抑止は破られてきました。…

…国破れて山河あり。
かつては抑止が破られ国が荒廃しても、再建の礎は残っていました。
国守りて山河なし。
もし核による抑止が、歴史が証明するようにいつか破られて核戦争になれば、人類 も地球も再生不能な惨禍に見舞われます。…」

この時期に様々なメディアで目にするあの広島や長崎の大きなきのこ雲。あの雲の下では何万、何十万人という人々が犠牲となったのです。あの雲の下には、私の家族が、私の大切なひとが、いや私自身がいたとしたら。想像してみましょう。

仏説無量寿経に「国豊民安 兵戈無用(こくぶみんあん ひょうがむよう)」(人々のこころは、豊かに安らかであり、兵士や武器を全く必要としない世界)とあります。
平和をもたらすために強大な武器を持つのではなく、平和を維持するためにむしろ武器は必要ないのです。

戦争になれば、一番犠牲となるのは軍隊ではなく子どもたちです。
たとえ時間や労力、コストがかかっても、皆で知恵を絞り、話し合いで解決することこそが、こどもたちの未来を守ることになるのです。

毎年恒例となっている長岡市私幼主催の園長視察研修も今年はついに九州に上陸しました。
熊本市内2園、福岡市内1園の計3園を視察させていただきました。3園ともそれぞれに特徴のある園でしたが、どの園も保育に対する熱量が高く、常に創意工夫を怠らない、素晴らしい園でした。
また、忙しい最中に私たちを歓待していただき、この場を借りて改めて3園の園長先生はじめ職員の皆さまに感謝申し上げます。

今まさに取り組んでいる園庭のこと、異年齢交流のこと、行事のこと、職員の福利厚生のこと、大変ヒントになる視察となりました。保護者の皆さまや職員が変わったなと感じられるように今回の視察を生かしていきたいと思います。

あまりお見せできる写真がありませんが、ほんの雰囲気だけ掲載します。

 

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